「働く」ことを軸に障害者のノーマライゼーションを目指す
大阪府箕面市稲1丁目11番2号

ヒロシのつぶやき「私の生活、今昔」

 『読者の皆さん、こんにちは。』のフレーズで始まる機関誌「障害者事業団だより」の連載『ビューポイント』を担当して20年以上、今は事業団ホームページ上で『ヒロシのつぶやき』というブログページを担当しているヒロシです。重度な脳性まひの障害当事者である私が、当事者ゆえの体験を皆さんに少しでも知って頂き、障害について考える機会にしてもらえたらと思い取り組んでいます。

 これまで、実家の風呂の改造にまつわる話や、11年前に始めた念願の自立生活をする過程などを記事にしました。また、今年から始めた『ヒロシのつぶやき』では、私が意思伝達装置のオペナビを使って記事を書いていることを紹介しました。時に私の俳句をブログでつぶやいたりしながら、生活にまつわる一コマを書いています。

 さて今回は障害者事業団30周年ということで『私の生活の今昔』について書きたいと思います。

 自立生活の当初は『ただただ親元から自立をしたい。』との思いだけが強く、実家暮らしの生活ペースのままでは嫌だったので、親の目が届かないことを良い事に、一人暮らしの気楽さとかを満喫していました。夜中の2時ぐらいまでネットサーフィンを楽しんだり、時には泊りのヘルパーさんとたわいもない話を夜更けまでしたり。まだ私も40代前半で若かったこともあり、週に4日ぐらい夜更かしをしていました。あれから11年以上経ち、私も50代半ばとなり、歳を重ねるにつれ、以前と同じ生活ペースがしんどくなりはじめました。夜更かしは週に1日程度の生活に変えました。5年ほど前から誤嚥を予防するため食事形態をミキサー食にしないといけなかったり、また最近は脳性まひ者特有の『2次障害』による右腕の痺れが現れたりと、だんだん自立生活を続けていくことが難しくなってきていると感じています。

 そこで、5年前の若き日の自分へ。『5年後も、大まかには元気なんだけど、これから2次障害が強くなって色んなことに不都合が出て来るので、ある程度生活ペースを整えるようにしないとあかんよー。』と伝えたいです。でも、5年前の私が、手厳しい忠告を素直に受け入れるのかは疑問ですが。

 最後に、私のような24時間365日介護者が必要な重度な脳性まひの障害当事者であっても自分なりに精一杯やれることを頑張ったら、一生の夢だった『自立生活』が出来るようになり、これも10代後半の頃から絶対に叶えたかった先輩のように就職をする『事業団で働く』という大きな夢も、数え切れない多くの人の知識や力を借りることで叶いました。時間はかかるけどいつか夢は叶えられる、と後輩の障害当事者の皆さんにも、『ヒロシのつぶやき』などで、これからも発信していきたいと思っています。

ここで一句

障害を 生涯友とし 冬ぬくし

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

担当、髙田 浩志