「働く」ことを軸に障害者のノーマライゼーションを目指す
大阪府箕面市稲1丁目11番2号

ヒロシのつぶやき「私、大腸がんになっちゃいました!⑥ (手術から術後編)」

読者の皆さん、こんにちは。車椅子のヒロシです。

さて今回は、手術から手術後までの出来事を書きたいと思います。

 

9月某日、手術室の中で、私は手術から来る緊張感を紛らわすために

心地良い音楽を聞きながら麻酔薬が効いてくるのを待っていると、

筋緊張がだんだんと解れ、しっかりと眠りについたのでした。

いよいよ腹腔鏡による大腸がん摘出手術が開始され、

大腸がんのところや周囲全部を切除しました。

切除後、間髪入れずに人工肛門(ストマ)装着手術となり、

8時間にも及ぶ手術は医療スタッフの皆さんのおかげで、無事成功に終わりました。

でも、ここからが本当のしんどさを経験することになるのでした。

手術後は数日の間、ICU(集中治療室)へ入らなければならなかったのです。

そこで困ったのが、この時期は、コロナ禍の初期で緊急事態宣言が出ていましたので、

病院の方針で※入院時コミュニケーション支援事業をICUで利用できないということでした。

 

ICUの慣れない独特の雰囲気にのみ込まれた私は、

精神的な緊張とアテトーゼ運動がマックスでしたので、

初対面の看護師さんと意思疎通ができにくい状況でした。

私が痛みを訴えようとしても、看護師さんにうまく伝わらなかったこと、

それに加えて、筋緊張を抑える薬があるのですが、

大腸がきっちりと付いていないと薬が効かなかったので、

手術後一週間は、筋緊張とアテトーゼ運動が強い状態が続き、

医療機器を蹴り上げて倒しそうになったり、違う日には、

輸血用とか点滴等のチューブの交換、体位変換、

術後加わったストマの便を出すケア等をするために、

私に近づいて来られた看護師の方々に

アテトーゼキックやアテトーゼパンチをしてしまったりしても

(もちろんわざとではありません)嫌な顔をせず、

笑顔で手際よく看護をしてもらいました。

それで、主治医やICU室の皆さんの治療のおかげで、

間もなくして一般病 室に戻ることができました。

 

 

ここで一句

幾つもの 点滴の痣 夜の寒し  浩志

 

この句は、入院中に利き腕にいくつかの点滴の痣がくっきりと見えたときに、

浮かんだ句です。この句の季語は(夜寒)で晩秋を指します。

 

さて今回のヒロシのつぶやきはいかがだったでしょうか。

また、このブログについて、ご意見ご要望等がございましたら、

当法人のお問い合わせフォームよりいただければ幸いです。では、次回もお楽しみに。

このブログを最後までお読みいただき、ありがとうございました。

担当、髙田浩志

 

※入院時コミュニケーション支援事業

意思疎通が困難等の在宅の重度障がい児•者が入院した場合に、

医療従事者との意思疎通の円滑化を図り、

適切な治療が受けられるようコミュニケーション支援を行政が実施するもの。