「働く」ことを軸に障害者のノーマライゼーションを目指す
大阪府箕面市稲1丁目11番2号

福子のチャレンジ③

当事業団の喫茶るうぷで、32年間勤務している森岡さん。

当初はてんかん発作があり、通勤途上で発作を起こして、救急車で運ばれることもありました。

しかし今では発作はほぼなくなり、毎日元気に勤務しています。
それは、住環境が変わって対人関係のストレスが減ったことと、何でも相談できる職場の仲間ができたこと、
通院時のお休みが取りやすいこともあったのではないかと思っています。

そんな彼女に、仕事面のことについて質問をしてみました。

◆仕事をしていて楽しかったこと
「買い物を頼まれて行ったこと」

自宅でも買い物には行くのですが、仕事として買い物を頼まれて一人で出来たことで、自信がついたようでした。

◆仕事をしていて辛かったこと
「時々、腰や足が痛くなってきている(体力的に)」

今年で58歳になった森岡さん。
なかなか30年前のような体の動きは出来なくなってきているのかもしれませんが、仕事はしっかりとこなせています。

◆仕事をしていてお客さんに喜んでもらったこと
「車椅子の人に、椅子をのけたり、子ども椅子を用意したら『ありがとう』と言われる」

喫茶るうぷライフプラザ店では、車椅子を利用しているお客さんが来店された時は、椅子を移動して、
車椅子に座ったままテーブルについてもらいます。
また、お客さんの中に小さい子どもさんが居る時は、子ども用の椅子に交換します。
森岡さんは、来店されたお客さんの中に車椅子を利用される方や、小さいお客さんがいた時は、
すぐにお客さんに声をかけ、椅子を動かすサービスをしています。

また、森岡さんは、喫茶るうぷライフプラザ店が出来る前に、喫茶るうぷの別の店舗でも働いていたことがあります。
その頃のエピソードもいくつか聞いたので、ここで紹介させてもらいます。

はじめに働いたのは、喫茶るうぷメイプルホール店でした。
ここでは、配膳用のお盆が銀色の金物のトレーで滑りやすく、瓶ビールとグラスをトレーに乗せて配膳する時に滑って
トレーから落としてしまい、床にビールをこぼしてしまったそうです。

その後は、トレーに滑り止めを敷いて使うようになったとのこと。
それが原因ではありませんが、ここでは店舗のホールではなく、ホールからは見えないバックヤードで、
皿洗いなどの仕事をすることが多かったそうです。

喫茶るうぷ教育センター店(~1996年)では、メニューに『おにぎりセット』というものがあり、
これがよく売れ配膳していた事が印象的だったようです。
ここはバックヤードがなく、お客さんと毎日接することができたことから、仕事も好きになり、楽しかったそうです。

高校生の頃は保育士になりたいと思っていた森岡さんでしたが、当時はてんかん発作がおこる頻度が多く、
大学へ行って勉強するということもハードルが高く、また、周囲の人たちに反対されたこともあり諦めたそうです。
その後、施設に通っていたときに、喫茶るうぷへの就職が決まり、初めは「試しでやってみよう」と思って始めた仕事でしたが、
「結構はまりこんだ」そうです。
結果、「こんな長い期間この仕事を続けるとは思わなかったのですが、今は良かったと思っている」とのこと。

※「」内は原文のまま表記しています